"ICHIRO TSURUTA: BIJIN-GA"
私は、私自身のミューズを
描きたいと思っている。
私は、私自身のミューズを描きたいと思っている。そしてできれば、そのゆらぎの中の迷宮で私に力を与えてくれる存在もミューズであってほしいと願っている。たとえ私の描く女性像が、私の心の中の脆弱なセンチメンタリズムや、青白い煩悩の炎から生まれたものであったとしても、ミューズの祝福を与えられれば、純粋へと昇華し、再び永遠なる真実の女性として生まれ変わることが出米るのだから。そして、唯一私に残された真実があるとするならば、描くという祈りにも似た行為の中で、描こうとする女性像を通して遥か彼方にいるはずのミューズからの慈悲の微笑みを、一瞬間でも受けられるのではないかという幻想を信じること、それだけかもしれない。
BIOGRAPHY
1954年、熊本県本渡市(現・天草市)に生まれた鶴田一郎は、天草地方の豊かな自然に囲まれて育った。幼少の頃から絵を描くのが好きだった彼は、高校を卒業後、多摩美術大学グラフィックデザイン科へ進み、イラストレーターを目指す。
プロとして描き始めた当初は、西洋文化に影響を受け写実的な作品を描いていく中で、自分が「日本人である」という意識が芽生え次第に琳派、弥勒菩薩をはじめとする仏教美術、浮世絵に見られる「美人絵」や「女絵」等、日本独自の美意識へと傾倒していった。
彼の描き出す美人画は、まさにアールデコのヨーロッパ的要素と自分の中の日本的なものが見事に融合し、たおやかで華やかな世界を創りあげている。
1987年、アートディレクター亀倉雄策氏に見出されノエビア化粧品の広告に抜擢。広告が終了した1991年以降もコマーシャル・アートの先駆者として人気を博し、彼の作品の中の女性たちは多くの人々を魅了し続けた。
「私は、私自身のミューズを描きたいと思っている」と言うように、それは彼の永遠のテーマであり、作家活動の原点となった。
2014年・春、彼は終の棲家として世界的な文化と芸術の都市・京都に移り住んだ。彼の美意識と世界観は、鶴田一郎様式として確立されようとしていたが、京都を創作活動の拠点とすることで得られた新たな技法とイマジネーションが、その広がりと進化を留めさせはしなかった。
そして、2018年、美人画を描き続けて36年、プロとしてイラストを描き始めて41年の時が流れた。この年、ニューヨークで個展を開くという機会を得た彼は、コンテンポラリー・アーティストとして名を残し、自らの価値を高めるためにも、世界中に「私自身のミューズ」を旅立たせるという挑戦を始めることとなった。
SELECTED EXHIBITIONS
2020 |
07月:「美人画制作40周年記念 MUSE 鶴田一郎回顧展」 |
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2019 |
12月:art miami 30th ANNIVERSARY |
2018 |
07月:鹿児島山形屋にて個展 |
2017 |
11月:京都安楽寺にて個展 |
2015 |
11月:京都安楽寺にて個展 |
2014 |
11月:熊本島田美術館にて個展 |